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『国語科教育学への道』 [書籍]


国語科教育学への道

国語科教育学への道

  • 作者: 大内 善一
  • 出版社/メーカー: 溪水社
  • 発売日: 2004/03
  • メディア: 単行本


本書の「まえがき」において、大内善一さんは次のように述べています。

 私の国語科教育と綴り方・作文教育に関する一貫した研究テーマは教科内容論・教育内容論を巡る「形式か内容か」という二元的対立を統一止揚する理論の究明にあった。このテーマの追究は修士論文研究に取り組んで以来一貫している。本書全体を貫く中心的なテーマもこの形式・内容二元論を克服する理論の究明に向けて設定されている。本書からこうした問題意識を読み取っていただければ幸いである。

この「形式か内容か」の問題を直接的に取り上げた論文として、表現教育における「教科内容論・教育内容論」をテーマにした、第Ⅰ部「第十一章 文章表現教育の向かう道」を見てみましょう。

 波多野完治は、かつて、芦田恵之助と友納友次郎との間で行われた論争、いわゆる随意選題論争に関する考察を行った。そして、この論争の根底に、当時行われていた二つの基本的教育思潮すなわち「教育を環境の方から統制して行かうとする考へ方」と「児童自身の中から発見させて行かうとする考へ方」との相克があったと分析した。波多野は、前者を教育の有する根本的性格である「同一化的方向」(=社会科の方向)、後者を自由教育思想に裏打ちされた「社会の分化的方向」(=個性化の方向)と捉え、両者の矛盾相克が綴り方科において鋭く現れたためにこの論争が大論争に発展したと結論づけた。

波多野による随意選題論争の考察を通して、「『社会の分化的方向』(=個性化の方向)と『同一化的方向』(=社会科の方向)との統一止揚という課題は、なお今日の文章表現にとっても重要な課題」と指摘しています。そして、このような文章表現教育の〈目的〉を考える手がかりとして、「教科内容」「教育内容」の問題を取り上げています。

 筆者は、拙著『思考を鍛える作文授業づくり』の中で、「教科内容」としての〈作文技術〉指導を通して「教育内容」としての〈思考〉を鍛えていく作文授業づくりの提案を行った。〈作文技術〉を自覚させることが子どもの〈思考〉の集中を促し、作文授業を引き締まったものにすることができると考えたからである。また、「見たこと作文」(原実践は上條晴夫著『見たこと作文でふしぎ発見』平成二年、学事出版)という実践に検討を加えた拙著『「見たこと作文」の徹底研究』(平成六年八月、学事出版)の中では、この実践が単なる国語科作文ではないことを指摘し、そこに国語科作文が担うべき「教科内容」としての〈作文技術〉と教科の枠を超えて育成されていく「教育内容」としての〈「見る力」〉や〈「追究」〉という要素とが一体的に指導されている事実を明らかにした。「見たこと作文」の実践は、指導者が〈「見る力」〉や〈「追究」〉という「教育内容」を意識することによって、「教科内容」としての〈作文技術〉を単なる小手先の技術指導としてでなく、子どもの思考の体制に沿ったより自然な形で指導することを可能にしているのである。
 右に取り出した〈思考〉や〈「見る力」〉〈「追究」〉といった「教育内容」には、波多野完治が言う子どもの個性の慎重を図っていく「社会の分化的方向」を切り拓く要素が含まれていると見なすことができる。一方、「教科内容」としての〈作文技術〉を社会的同化の方向としての「同一化的方向」と見なすことができる。〈作文技術〉が大人の社会からの実用主義的要求・社会的枠組みそのものであるのに対して、「見る」・「追究」という行為は、文字通り個人に属する主体的なものだからである。

「教科内容」としての〈作文技術〉だけを指導しようとすると「子どもの生活の用・思考の体制を無視して無味乾燥な小手先の技術指導に陥る恐れ」があり、「教育内容」だけに目を奪われると、「かつて昭和十年代に波多野完治によって『言葉からはなれて空中をとんで居た』と批判されたような綴り方教育に陥る恐れ」がある。これからの文章表現教育も、「社会的同化の方向としての『教科内容』と個性化の方向としての『教育内容』とを統一止揚していく方向で行われていくことが求められている」と述べられています。

「形式か内容か」という非常に大きな問題が取り上げられていますが、考える手がかりとして「教科内容」と「教育内容」を意識していきたいものです。国語科における「教科内容」と「教育内容」について考えることが、「国語科教育学への道」なのかもしれません。

まえがき
第Ⅰ部 表現教育史論・表現教育論
 第一章 昭和戦前期綴り方教育の到達点と課題
  一 本研究の目的
  二 戦後期における国分一太郎の問題提起
  三 国民学校国民科綴り方における「生活」観を巡る問題
  四 戦前期生活主義綴り方教育への反省
  五 戦前期綴り方教育の到達点――平野婦美子著『綴る生活の指導法』の登場――
  六 戦前期綴り方教育から戦後作文教育への橋渡し
  七 生活綴り方教育の復興の中で亡失された戦前綴り方教育の到達点
  八 考察のまとめ
 第二章 田中豊太郎の綴り方教育論における「表現」概念に関する考察
  一 本研究の目的
  二 「表現」概念を巡る問題の所在
  三 「表現」における「観照作用」への着眼と「生活」概念の限定
  四 「生活」と「表現」の一元化への試み
  五 「表現」概念の広がり
  六 考察のまとめ
 第三章 綴り方教育史における文章表現指導論の系譜
      ――菊池知勇の初期綴り方教育論を中心に――
  一 本研究の目的
  二 菊池知勇という人物
  三 菊池知勇の綴り方教育論・綴り方教育運動に関する先行研究
  四 旧修辞学に基づいた作文教授法批判
  五 旧修辞学的作文教授法批判の意義
  六 菊池知勇綴り方教育論の展開と成熟
  七 考察のまとめ
 第四章 秋田の『赤い鳥』綴り方教育
      ――高橋忠一編『落した銭』『夏みかん』の考察を中心に――
  一 本研究の目的
  二 秋田県における『赤い鳥』綴り方教育の概況
  三 『赤い鳥』綴り方教育の前期から後期への発展の位相
  四 高橋忠一の綴り方教育観の一端
  五 『落した銭』『夏みかん』所収の全作品と題材の傾向
  六 表現上の特色に関する考察
  七 高橋忠一の綴り方教育観と三重吉の選評姿勢――考察のまとめに代えて――
 第五章 波多野完治「文章心理学」の研究
      ――作文教育の理論的基礎――
  一 本研究の目的
  二 「文章心理学」の生成
  三 「文章心理学」の展開
  四 「文章心理学」の中核的理論としての「緊張体系」論に関する考察
  五 作文教育の理論的基礎としての「文章心理学」の意義と今後の課題
 第六章 波多野完治の綴り方・作文教育論
  一 本研究の目的
  二 昭和戦前期の展開
  三 昭和戦後期の展開
  四 考察のまとめ
 第七章 時枝誠記の作文教育論
  一 本研究の目的
  二 言語過程説に基づく国語教育観
  三 言語過程説に基づく作文教育論
  四 時枝誠記の作文教育論の意義
 第八章 新しいレトリック理論の作文教育への受容
  一 本研究の目的
  二 構想力の論理としてのレトリック――三木清の場合――
  三 「コミュニケーション」の科学としてのレトリック――波多野完治の場合――
  四 思想創造力に培うレトリック理論――輿水実の場合――
  五 行動精神としてのレトリック理論――山口正の場合――
  六 「説得の論法」論・「構想」論としてのレトリック理論――西郷竹彦の場合――
  七 作文教育への適用に際して
  八 考察のまとめ
 第九章 作文教育における「描写」の問題
  一 本研究の目的
  二 「描写」指導の位置
  三 「描写」表現の機構とその意義
  四 「描写」表現指導の観点
 第十章 作文教育の理論的基礎としての文章論
  一 本研究の目的
  二 「文法論的文章論」の生成
  三 作文指導における「文法論的文章論」の適用
  四 「文法論的文章論」の発展
  五 作文教育の理論的基礎としての意義
 第十一章 文章表現教育の向かう道
  一 文章表現教育の〈目的〉の見直し
  二 文章表現教育の〈目的〉を子どもの側に立って見直す
  三 「教科内容」と「教育内容」との統一止揚
  四 〈想像〉という「教育内容」の再認識
  五 空想・想像的題材の新生面の開拓
 第十二章 「語りことば」論序説
       ――「語りことば」の発見――
  一 本研究の目的
  二 「語り」の語義の淵源
  三 「語り」の機能
  四 「語りことば」の意義と定義
  五 「語りことば」の創造
  六 「語りことば」の機会と場
 第十三章 話し合いの内容・形態と人数との相関に関する一考察
       ――「三人寄れば文殊の知恵」――
  一 本研究の動機と目的
  二 「総合的な学習」を支えている主要な言語活動・技能
  三 「総合的な学習」における〈話し合い〉の実態的考察――〈話し合い〉の内容と人数との関係から――
  四 〈話し合い〉の一般的形態・性格と人数との関係
第Ⅱ部 理解教育論 ――教材論・教材化論・教材分析論――
 第一章 国語科教育への文体論の受容
      ――国語科教材分析の理論的基礎の構築――
  一 本研究の目的
  二 文体論の立場と方法
  三 心理学的文体論――波多野完治著『文章心理学』を中心に――
  四 美学的文体論――小林英夫著『文体論の建設』を中心に――
  五 語学的文体論――山本忠雄著『文体論』を中心に――
  六 計量的文体論――安本美典・樺島忠夫の文体論を中心に――
  七 文学的文体論――寺田透・江藤淳らの文体論を中心に――
  八 文体論研究の意義と問題点
  九 国語科教育への文体論の受容
  十 考察のまとめ
 第二章 山本周五郎「鼓くらべ」教材化研究
      ――文体論的考察を中心に――
  一 本研究の目的
  二 作品の構造――筋立て、人物像・人物関係の設定――
  三 文体上の特質
  四 学習者の実態と教材価値
  五 考察のまとめ
 第三章 宮澤賢治童話における〈わらい〉の意味
      ――クラムボンはなぜ〈わらった〉のか――
  一 問題の所在
  二 クラムボンの〈わらい〉と〈死〉
  三 クラムボンの〈わらい〉と〈笑い〉
  四 クラムボンの〈わらい〉の意味
 第四章 木下順二民話劇「聴耳頭巾」の表現論的考察
      ――戯曲教材の意義を再認識するために――
  一 木下順二民話劇の生成
  二 戯曲の文章の表現構造
  三 民話劇「聴耳頭巾」の表現構造
 第五章 柳田国男『遠野物語』の表現構造
      ――教材化のための基礎作業――
  一 本研究の動機・目的
  二 『遠野物語』創作の動機――「事実」観を巡って――
  三 発想・着想
  四 構成・配置
  五 表現・修辞
  六 『遠野物語』の表現価値
 第六章 杉みき子作品の表現研究
      ――教材化のための基礎作業――
  一 本研究の動機・目的
  二 発想・着想に関して
  三 杉みき子作品における創作の原点としての発想・着想の源
  四 表現過程おける発想・着想
  五 杉みき子作品の教材価値
第Ⅲ部 国語科授業研究論 ――授業構想論・授業展開論・授業記録論――
 第一章 読みの指導目標設定の手順・方法に関する一考察
      ――〈教材の核〉の抽出から指導目標へ――
  一 本研究の目的
  二 指導目標設定の手順・方法に関する実態とその考察――教材「やまなし」を事例として――
  三 指導目標設定までの手順と方法(試案)
 第二章 説明的文章教材指導の問題点と授業構想論
      ――「ビーバーの大工事」を実例として――
  一 説明的文章教材指導の問題点に関する考察――「表現」概念と「情報」概念の交通整理を通して――
  二 説明的文章教材の指導において「筆者」を想定する必然性
  三 説明的文章教材において指導すべき教科内容
  四 説明的文章教材から教科内容を取り出す方法――教材「ビーバーの大工事」を用いて――
 第三章 文学的文章教材の教材分析から授業の構想へ
      ――「白いぼうし」(あまんきみこ作)を事例として――
  一 「白いぼうし」の書誌
  二 「白いぼうし」の教材分析
  三 「白いぼうし」の授業の構想
 第四章 読みの教材研究に関する実態的研究
      ――「わらぐつの中の神様」(杉みき子作)の教材研究史研究を通して――
  一 本研究の目的
  二 教材研究史研究の方法
  三 教材「わらぐつの中の神様」の分析に関する考察
  四 分析データの整理――教材構造の把握――
  五 学習者の読みの予想
  六 教材価値(叙述内容価値・叙述形式価値)の抽出
  七 到達点と今後の課題
 第五章 読みの授業の構想及び展開に関する実態的研究
      ――「わらぐつの中の神様」(杉みき子作)の授業実践史研究を通して――
  一 本研究の目的
  二 「わらぐつの中の神様」の授業の構想に関する分析・考察
  三 「わらぐつの中の神様」の授業展開に関する分析・考察
  四 到達点と今後の課題
 第六章 国語科教師の専門的力量の形成に資する授業記録
  一 本研究の目的
  二 「授業記録」とは何か
  三 「授業記録」の記述方法に関する問題
  四 教師の専門的力量形成に資する授業記録を目指して――武田常夫の「授業記録」事例の検討――
  五 〈授業批評〉としての授業記録へ
あとがき
索引
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