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「嫌い」と「苦手」の違いは何だろう? [雑誌]

私が編集に関わっている学事出版の雑誌『授業づくりネットワーク』「あすの授業」コーナーの原稿を、私なりの視点で検討していきます。
※参考:佐内信之「新しい授業レポートの誕生 『あすの授業』を中心に」『授業づくりネットワーク』2007年3月号

『授業づくりネットワーク』2010年1月号
道徳(小学校・中高学年/中学校)/野田芳朗 「嫌い」と「苦手」の違いは何だろう?

「授業のへそ」は、次の通りです。

 子どもたちは気軽に「○○は(が)嫌い!」と決めつけてしまう。この「嫌い」に対して「苦手」という言葉を対応させて考えたとき、自己肯定感につながる〈生き方を考える道徳の授業〉が生まれる。

「嫌い」だけではなく「苦手」を意識させる授業のようです。その内容ですが、「授業の流れ」には枠囲みが一つもありません。そこで、授業の骨格となる指示・発問を意識しながら、本文を見ていきましょう。

1 「嫌い」と「苦手」を列挙
 黒板に、大きく〈「嫌い」と「苦手」の違いは何だろう?〉と板書してから、まず次の発問をした。
嫌いなもの・ことは何ですか?
苦手なもの・ことは何ですか?

ここで枠囲みすべき部分は明白です。「嫌いなもの・ことは何ですか?」「苦手なもの・ことは何ですか?」という発問です。この発問で「嫌い」と「苦手」を列挙させるのが、野田さんの意図なのでしょう。

子どもたちが発表に対して、野田さんは次のように続けます。

 さまざまなジャンルの嫌い・苦手が出た。食べ物あり教科あり運動系あり生き物あり人あり……。子どもそれぞれにとらえ方が違うのも面白い。そこで次の発問をした。

2 「嫌い」と「苦手」の違い
自分の考えを書いてから発言させた。黒板を〈嫌い〉と〈苦手〉と半分に分けて板書した。

ここの枠囲みは少し迷います。小見出しの「『嫌い』と『苦手』の違い」が発問に当たるようです。そうすると、授業の冒頭に板書した〈「嫌い」と「苦手」の違いは何だろう?〉を、改めて枠囲みした方が良さそうです。

この二つの部分を枠囲みすれば、「『嫌い』と『苦手』を『列挙』した上で『違い』を考えさせる」という授業のシステムが明確になると思われます。

もう一つ、この原稿で気になるのはエピソードの描写です。子どもたちの発言や記述がたくさん「列挙」されているのですが、「考察」が漠然としています。どれか1点でも、子どもの発言・記述を取り上げて、考察を加えたいです。

たとえば、野田さんが参考にしたエッセイ「『嫌い』と『苦手』について」(重松清『明日があるさ』朝日文庫)には、次のように書いてあります。

「嫌い」は、自分から相手への一方的な拒絶である。それに対して「苦手」には、相手のことを認めたうえで、しかし自分にはうまく受け容れられないんだというニュアンスがある。「嫌い」は「相手だけが悪い」につながるが、「苦手」は「自分も悪い」に至る。自己嫌悪を募らせろというつもりは毛頭ないのだが、不快な状況や思いどおりにならない局面では、それを「嫌い」だと感じるか「苦手」だと受け止めるかで、対処法は大いに違ってくるはずだ。

「嫌い」は「相手だけが悪い」、「苦手」は「自分も悪い」のように、「相手」意識の有無が大きな違いのように思われます。この「相手」を手がかりに、「(友達は話しかけてくれるけど)一緒にいるのは苦手」「(親は工夫して料理してくれるけど)ピーマンは苦手」「(先生は熱心に教えてくれるけど)算数は苦手」のような発想を促せるといいなと思います。
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